記者コラム 風考記 フォロー 「沖縄に核必要なかった」返還交渉当事者の証言 西田進一郎・北米総局長 2022年5月21日 保存保存 文字 印刷 トレーラーで運ばれる最後のメースB(核ミサイル),向こうは東シナ海=1969年12月撮影 米国統治下にあった沖縄が日本に復帰して,5月15日で50年がたった,その日を前に,米側で返還交渉に携わったモートン・ハルペリン氏(83)の自宅を訪ねた, 首都ワシントンの北西にある閑静な住宅街,風通しの良い裏庭の椅子に腰掛けたハルペリン氏は,「沖縄返還に携わった原点からたずねたい」という私の言葉に,「かなり長い話になるな」と苦笑いしながら座り直した,「核抜き・本土並み」の裏に極秘の合意 ここで簡単に沖縄返還交渉を振り返りたい,日米両政府の交渉のテーブルに載ったのは,佐藤栄作首相が1965年1月にジョンソン大統領との会談で提起してからだ,首相は国会で,核兵器について「持たず,つくらず,持ち込ませず」という非核三原則を表明,沖縄に憲法や日米安全保障条約がそのまま適用される「核抜き・本土並み」での返還を米国に求めた
スーパーコピー激安 山場は,69年11月の首相とニクソン大統領の会談だった,両首脳はここで「72年・核抜き・本土並み」の返還で合意した,その一方で,米国は核兵器を撤去するが,緊急時には再び持ち込むことを日本政府は認めるという極秘の合意議事録に署名していた, 政府は合意議事録の存在を認めなかったが,首相の「密使」として議事録作成を主導した国際政治学者の若泉敬氏が94年の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で内容を暴露
激安 ブランド 2009年には佐藤首相の遺族が議事録原本の存在を明らかにした,返還交渉には繊維問題なども複雑に絡むのだが,ここでは置いておく
コピーブランドバッグ ハルペリン氏は,67年に29歳の若さで国防次官補代理に就き,当時国務省日本部長だったスナイダー氏と返還交渉を担当した,ニクソン政権では,キッシンジャー大統領補佐官に請われて国家安全保障会議(NSC)メンバーとなり,返還交渉の方針作りなどに携わった,安保条約守るための返還 そんなキーマンは,東京五輪を控えた63年の東京訪問が原点だと語った, 著書「中国と爆弾」(65年出版)の調査のため東京を訪れ,中国が核戦力を開発した場合の影響を日本の学者や政府高官に聞いた,ところが
ブランドコピー 安全なサイト 「みな『日米安全保障条約が維持されている限り深刻な問題にはならない』と言う,むしろ,『沖縄の問題があり,条約を維持できるかどうかが心配だ』と語っていた」という,「その時初めて沖縄に注目した」 安保条約は,発効10年の70年6月から,どちらかが事前通告をすればその1年後に失効する仕組みだった,沖縄問題で日米関係が揺らげば,条約の延長がままならなくなるという懸念だった, 66年に国防総省で勤務し始めたハルペリン氏は,国防長官室を代表して沖縄問題を巡る省庁横断の会議に参加することになり,「条約は(沖縄の米軍)基地よりも重要だ,70年までに同盟関係を強化する方法で沖縄問題を解決する必要がある」と訴えた,米軍「ブルースカイ政策」 米軍は「ブルースカイ政策」を主張していた,「空に雲が一つもない,つまり安全保障上の懸念が一つもない状況になれば返還するという,要は返還は実現しないという意味だった」,米軍には,「自分たちが沖縄を征服したのだから,保持する権利がある」という考えが根強かったという, そ… この記事は有料記事です,残り1122文字(全文2430文字)ご登録から1カ月間は99円 今すぐ登録して続きを読む 登録済の方はこちらからログイン 関連記事 <白井聡氏>「ロシア批判」というブーメラン 中国の「ロシア寄り」は変わるのか 有事に使えない沖縄の基地と米軍の利権 <田中秀征氏>アイゼンハワーから遠いプーチン氏の「野心」 「復帰っ子」と言われて 沖縄の戦後は終わっていない 「写経」した日本国憲法 関連記事 <白井聡氏>「ロシア批判」というブーメラン 中国の「ロシア寄り」は変わるのか 有事に使えない沖縄の基地と米軍の利権 <田中秀征氏>アイゼンハワーから遠いプーチン氏の「野心」 「復帰っ子」と言われて 沖縄の戦後は終わっていない 「写経」した日本国憲法 投稿にはログインが必要です,西田進一郎 フォロー 北米総局長 1975年生まれ,97年に入社し
スーパーコピー通販 岡山,神戸などの支局や東京社会部を経て2005年から12年まで政治部,その後ワシントン特派員や政治部デスク,政治・安全保障担当の論説委員を経て22年4月から現職,連載:風考記 前の記事 「黒人女性初」の期待と不安 次の記事 自由と銃 米国のジレンマ 注目コンテンツ